教室登校してない娘の進路。母の気持ち・父の気持ち

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中3になり進路を決める重要なときに衝撃を受けたことがありました。

中2で教室に行かなくなったとき、学校は別室登校の許可を親にとる必要があると、

母を呼んで話したことがありました。

許可が出て別室登校ができたのですが、

それから一年過ぎて、進路の話しをするために、

学年主任、担任、両親、私で話をしたのです。

 

私と父はお互いに遠慮をして、当時はそんなに重要なことを話すことはなかったです。

思春期だし女の子だからと、父は何も言えなかったのでしょうね。

なので、私は別室投稿もことも言わなかったし、学校のことはほぼ話してなかったかもしれません。

 

そして進路相談の時に、父は言いました。

「アスカが教室に行ってないっていうのは今知ったし、聞いてなかったので戸惑っています・・・」

父は知らなかったの?私は驚きました。同席した先生も驚いたでしょうね。

約一年間父は何も知らずに、普通に学校生活をおくっているものだと思っていたのです。

 

私から父に話すべきだったのでしょう、

でも母に甘えていて、母が言うって思っていたのです。

 

母は一人で抱えたその一年どんな気持ちで過ごしたのでしょう。

仕事をして家事をして兄たちの学校もあり、ストレスはすごかったのではないかと想像できます。

私があの時の母の立場なら、ストレスで病みそうです。。。

そのことに関しては今でも母とは話したことはないですが、

母にお礼と謝罪をいつか言えたらいいな。

今も甘えていますので、独り立ちを先にしなさいと言われそうですが^^;

 

そして何も知らされてなかった父の気持ちもわかります。

・・・親に感謝ですね。

 

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その話の時の思い出がもう一つあります。

担任と私で二人で話したときのこと、ハエが一匹飛んでいました。

私のところに来てブーンと飛んでいたのではらっていたら

 

担任「ハエに好かれているのですね」

 

え?はぁ・・?

子供でなくてもそんなこと言われたら怒りますよね(笑)

担任が私に嫌みの一つも言いたくなるのはわかりますが、

怒ったので次の日、他の先生たちのその話をばらしました(笑)

私は3年になった時から担任とは合わなくて反抗的でした。

今思うと、小さな子供が好きな人をいじめてしまう心理と同じだと思います。

気になるけど遠ざけてしまう。そんな私を見て嫌われてると思ったでしょうね。

 

でもハエに好かれてるはないでしょう?(笑)

 

 

 

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安定剤って説明なくしかも精神科や心療内科以外でもらえて怖くない?

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最近のメンタル事情ってどうなっているのでしょうか。

 

友人と話してて気になったことがあります。

 

友人は以前鬱でした(正式な病名は分からず)

自殺未遂もしたことがあります。

なのであの頃は鬱だったと話ていました。

なぜ病名を知らないのかというと、

メンタル系の病院へ行っていないからです。

なぜ行かないの?って聞いたら

「先生と相性が悪い、話しててイラっとしたからもう行きたくない」

 

私が以前通っていた病院もあまり合わなかったので気持ちは分かります。

合わないと話したくなくなる、自己解決しようとする。

でも何か話さないといけない雰囲気・・・

こんなんじゃ病院が嫌になるのもわかります。

 

では薬はどうしますか?

 

友人は内科から安定剤をもらっているようです。

今では他の科でも安定剤を使用しているみたいですね。

 

以前低血圧で内科に通ってた時のこと

私「元気はあまりないのですよ~」

先「じゃあ、元気が出る薬を出しますね」

薬剤師「とにかく元気がわいてきます!」

という話でした。

元気が出る薬って意味不明で自分でググると、

案の定メンタル系の薬でした。

その後薬剤師に確認

私「副作用や離脱症状がおこるのでは?」

薬剤師「内科専門でしたのでわかりませんでした。すみません」

・・・・・・怖い

 

離脱症状について簡単に説明しているサイトがありましたので、

リンク張らせていただきます

www.kenryouin-group.com

 

最初に出た友人もそうですが、内科からは詳しい話は聞いていないようで、

私と離脱症状の話をしたときには、もう何年も飲んでいるから遅い。

やめると怖いし飲み続けるしかないと、依存もしていました。

どうして内科ではしっかり、副作用と離脱症状と依存の話をしないのでしょうか。

 

知恵袋を見てると内科で処方してもらえるのか?

という質問を見ます。

みなさん内科がいいという理由はあるのでしょうか。。。

診療代が安いという理由でしょうか?

私には風邪をひいたのに、歯科に来たというくらいに

違う場所に行ってる気がするのです。

 

ただ友人の例もあります。

精神科には行きたくないから内科に助けてもらうというのもわかります。

一人で抱えこむよりは。。。と

 

今ではネットですぐに薬を調べることができるので、

なんだろ~?って物は、自分で調べてから投薬することをお勧めします。

 

一度離脱症状を経験しましたが辛かった!

減薬や断薬をするときは医師と相談のうえでして下さいね

 

 

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検診に行き分かった心情

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先日乳がん子宮がん検診に行ってきました。

乳がん検診は初めての体験でした。

北斗晶さんのニュースもあり、去年からそろそろ行かないとと感じてた時、

市の負担で検診が受けられるという連絡が、そして早速行ってきました。

 

検診1,2日前から思ったことがあります。

同級生にあったらいやだなってこと。

その顔も思い出しました。

その子に何をされたというわけでもないのですが、

その子の口調は人を馬鹿にするような口調で、

あまり話したいと思わないタイプでした。

その子に会えば同級生に私のことが伝わるんだろうな~って

それがきっと嫌だったのでしょう。

 

当日は会わなかったのですが、朝からイライラしてました^^;

この歳になり、結婚してない子供がいないことは

同級生にあまり知られたくないのかなと自分で思います。

 

検診は市内の病院で行われました。

もうずっと行ってなかった病院はいつの間にか綺麗になっていました。

歩いたり、知らないことろで待つのは苦手なのですが、

薬の頓服もありなんとか切り抜けられました。

 

未だに母について行ってもらわないと、不安なところは越えられないのですが、

こういう検診などの時は自分一人だけ、親同伴って周りからどう思われているのでしょうね。

そんな話を前母として、親のありがたみと親離れできない悲しみがあります。

 

彼氏がいたときは、親よりも彼が私のことをよく理解してくれていて、

彼が色々なところに連れて行ってくれたりしました。

信じられる誰かが私には必要なのかな。

 

甘え。。。かな。皆さんはどうやって独り立ちしたのでしょうか?

私はその機会を逃したのでしょうか?

 

今回の検診でわかったことは

・同級生と会いたくない

・結婚や子供のこと

・親離れ(一人で行動できるようにならなければいけない)

・薬

 

同級生問題は自分が世間に出て、何度か会えば解決するのかも。

結婚等は一人ではどうにもならないけど・・・

親離れは少しずつか、それかいない環境に飛びこむしかないのかしら?

薬かぁ・・・

次回のカウンセリングで話してきます。

 

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仲良くできない子はいますか?

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同級生のことを考えていたら、中学二年生の時のことを思い出しました。

二年生の時に私は教室へ行かなくなったのですが、

やはりそれに対してよく思わない人もいるのです。

特に同じ小学校で一度は仲良くしていた子たち。

他の小学校の人たちはあまり関心はなかったように思えます。

 

小学生の時親友と思える友人がいました。Aさんとします。

Aさんは中一に入って隣のクラスでしたが、いじめを受けていたようです。

それを私は知らなくて、クラスの子と話してて初めて知って驚いたのを覚えています。

 

いじめをかばうと自分も攻撃されることがありますね。

それも考えましたが、Aさんは大事な友人でしたので変わらなく接したつもりです。

2年になりAさんとも同じクラスになりました。

私が行かなくなって、どんな思いをしたのかはわかりませんが、

男子と一緒に書いたのか、一度不快な手紙をもらったことがあります。

それからはAさんとはぎくしゃくしたままです。

小学校の思い出があり、もし今また機会があれば仲良くなれればいいなと思います。

 

そしてAさんの友人がいます。Bさんとします。

Bさんは小学校の時クラスが違いましたが、プチいじめにあったいたようです。

AさんとBさんは仲が良くて、私もそれなら一緒に遊ぼうよって誘っていました。

クラスのイベントや、お泊り会など、Bさんも誘ったり、またBさんの家に遊びに行ったりする、普通の小学生の友人でした。

 

中学2年になりBさんも同じクラスでした。

Bさんは私でもAさんでもない人とよくいました。

私が少しクラスへ行くようになり、荷物を取りに行ったときの事、

Bさんはわざわざ私の近くに寄ってきて聞こえる声で、

「それダサ~い」と一緒にいた子と話出したのです。

私は思いっきり睨んで別室へ移動しましたが、言い返せなかったのは悔しいです。

何が今でもむかつくかというと、言われたことではなく、

いじめられてたBさんを受け入れたのに、Bさんは恩をあだで返すような事をしてきたのが今でもむかつくのです。

3年になり掃除時間外へ掃除に行って帰ったとき、私の上履きが靴箱にないのです。

犯人は分かっていました。Bさんが靴箱掃除にいてこっちを見ながら話していたので。

そういうことを平気でするんだなと、小学生のあの思い出はなんだったんだろって。

 

もし今Bさんと会っても友達にはなれないでしょう。

表面笑顔を作っても、連絡先等一切教えたくはないですね。

私、子供で意地っ張りでしょうか?(笑)

その時は夢に出てくるくらい辛いことでした。

逆にあの時はこんなにつらかったのよ?あなたはどんな想いでしていたの?

って腹を割って話せば仲良くなれたりするのかもしれませんね。

 

少し振り返って

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今までのブログを読み返していると、

ブログを書くのは下手ですね^^;

そして自分勝手で逃げることしか考えてないというのが

自分でもわかります(;'∀')

 

今の自分がこうやって作られてきたのかって・・

 

私を分かってほしいっていうだけのブログにはしたくはないのですが、

どうも文才がなくそうなってしまっています。

例えば、今同じような悩みの中で光を見いだせてない人がいれば、

自分はこうでした、私はこんな感じで乗り切りましたと、

話せる人ができたらいいなと思います。

また心理学を勉強してる方にはいい教材になるかなって。

アドバイスをしてくれたらうれしいです。

 

以前鬱の子のブログを見ました。

私なりにアドバイスができたらいいなと思いました。

その子はすぐにブログをやめてしまったようで、

一度書き込みをしただけでやり取りはできなかったのですが、

『自分はだめな人間だ』

と思ってるその子に

伝えたい事はたくさんありました。

下手な私のブログで伝わるかはわかりませんが、

私もダメな人間だと思っていた、今もそれはどこかにもっています。

でも生きていけて、恋愛があったり仕事もして、それなりに幸せであります。

そんなことを伝えられたらなって思って書いています。

 

世の中はいろいろな人がいます。

ポジティブに生きてる人もいるし、ネガティブ思考の人もいる。

ポジティブだからすべてがうまくいくことはないだろうし、

ネガティブだから全くだめとは思わない。

みんないいところはたくさんありますから^^

 

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部活と卒業式

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教室には行かなかったけど部活には毎日出ていた。
吹奏楽部で自分の担当があるし、友人と話す楽しみもあった。
下級生を育てる楽しみもあった。
そして受験生だなと自覚し始めた三学期。
私は夜間の定時制に行くことにした。
同じ中学からは同室の女友達1人と、3名ほどの男子が受験した。

 

受験勉強といっても制定と面接で、毎日作文を書く練習をした。

作文は昔から得意だったのでどんなお題が出ても大丈夫な気がした
しかし環境が変わる、中学校生活がこれでも好きだったので終わってしまうと悲しみがあった。
そして受験の時に静かな部屋にずっといなければならない恐怖に耐えられるか不安だった。

 

受験の日は朝から憂鬱でした。
静かな高校の教室はもう地獄のような場所でした。
そして不調を訴えて保健室で受験をした私です。
これもまた逃げたのです。

面接は一番最初にしてくれました。
高校の先生たちの配慮に感謝です。
でも私の頭の中では、ここで私を落としてくださいと言おう、いや言ってはダメだ
と二つの声がずっとしていました。
高校に行っても教室に行けない…
行きたくないって気持ちでいっぱいでした。
しかし高校に受からなかったと白い目で見られるのもまた怖い…
私は結局面接の練習と同じ回答をしていました。
そして私も友人も合格。
あとは、中学生活を楽しむだけでした。
中学は先生達との毎日の会話が大好きで、子供な私を放置しないで構ってくれるのがありがたかったです。
なので余計に中学を卒業するのは嫌でした。

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卒業式の練習は何度かあったみたいですが、合同練習は一度出ただけでした。
出席番号順で私がクラスの先頭を歩かないといけないと知った時、
何も知らないのは恥をかくと思い、友人と先生に頼んで練習しました。
卒業式当日無事に席につけました。
式は長い時間していました。
その場に居るのが辛くなり途中で抜けて後ろで見ていました。
母が気づいて来ました。それは辛かったです。恥ずかしくもありました。
式が終わる少し前に席に戻り卒業式は終わりました。

別室に戻り先生や友人達と写真を撮りました。
友人の一人に外国人の子がいました。
その子は外国人と言うだけでイジメにあっていたようでやはり教室に行っていませんでした。
外国人には外国人のまた違う別室がある中学でした。
保健室、特別支援学級、外国人教室、別室、職員室と、分けるとこんな感じでした。
家に引きこもるよりは学校に行くのはいい事だと思います。
それがクラスでなくても、人と関わる事が出来るのは良い事です。

その外国人の友人の良いところはイジメにあっていても、自分をしっかり持っていたところ。

逃げない子。本当にいい子でした。

 

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修学旅行の思い出

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中学3年生の五月に修学旅行がありました。

計画は1学期開始から始まったようですが、

別室登校を続けていたので知らなくて、

もうほとんどプランができてきたころに、私もプラン作成に参加しました。

ずっといなかった私がどうこう言える立場ではないな~という気持ちがあったので

同じ班の友達の意見に賛成して終わりました。

 

計画を知らないということは、いくら必要とかも知らなかったのです。

プランで出てた金額+少しをもっていきましたが、

プラン通りには行かないのが旅です^^;

タクシーを使用したりして、もう財布はぎりぎりでした。

 

修学旅行1日目 京都 班行動

新幹線を降りたらびっくりの世界でした。

大きな駅、迷える広さ、そして綺麗な建物。

県内の駅は大きな街でもあまり綺麗という感じはなく、

これが普通なんだなと思っていたので、京都駅は別世界でした(笑)

田舎者丸出しで、そのまま班行動へ。

 

満員のバスにも驚きました(笑)

街を歩く人の多さも、お祭りか?ってくらいに多くて。

そしてバス停から結構歩く歩く^^;

 

二条城へ行き次に映画村へ。

映画村では昼食もとりました。

そしてそこで気づいたのです。

 

『あれ?お腹が空かない…』

 

さっきまでお腹が空いたと感じていたのに、

食堂へ行くとお腹空いてない、喉がいらないって言っているのです。

これはたぶん2度目の経験でした。

一度目は先輩と一緒に男子を交えて食事に行ったとき。

親とのレストランではピザを頼んだりしてた私なのに、

このときはアイスを食べるのに精いっぱい。

喉が受け付けないのです。

これと同じことが修学旅行で発生。

今思うとこれが、今の外食が困難の始まりだったのでしょう。

何度も男子はお腹空かないの?っと心配してくれたのを覚えています。

 

宿泊先のホテルにで夕食もあまり食べれなかったような・・・

 

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修学旅行2日目 大阪 班行動

通天閣とアメ村へ行きました。

予定では他にも行くはずでしたが、通天閣で迷って時間がなくなったので、

この二つになりました。

 

通天閣周辺はガラが悪いと最近聞きましたが、

行ったときはそんなことはなかったです。

あまり人がいなくて道を聞くのにも困ったほどでした。

 

アメ村は・・・すごかった(笑)

ここから男子と別行動。

 

大阪のお姉さんは売ってくる、断れない田舎者は買ってしまう(笑)

細い一本道に服屋さんが並んでいたのですが、

「安くするからこうてって~」

という言葉に断れず。

あとから考えると値段が書いてなかったので、本当に値引きしてくれたのかは不明。

サイズもこれでちょうどいいからと渡されたものを購入。。。

 

その横のお店の店員さんもどんどん服を見せてきたので、

これはやばいと逃げるようにそこから脱出しました^^;

 

そして昼食をとることにしましたが、入ったお店が高いのです。

大阪という土地柄しょうがないのかもしれませんが、

中学生には高いランチでした。

(この時もたしか半分食べたくらい)

 

背の高い外国人のお兄さんが上手な関西弁でたこ焼き屋さんのクーポンをくれたので

おやつに友達と半分こ。

もっと早く知っていればランチこれでよかった!

大阪のたこ焼きはほんとおいしかったです!

 

アメ村は人がすごくいたけど、この頃は気にせず行動できていました。

逆に人の多いところが好き!ってくらい。

 

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修学旅行3日目 京都 クラス団体行動

金閣寺清水寺、嵐山あとは受験で有名な神社へ行きましたが、

この辺の計画はまったく知らなかったので、実はあまり覚えていません。

 

金閣寺はすごく綺麗だった、そして遠い!!

清水寺は高っ!恋愛成就のお水を飲んできた。

当時は芸能人グッズはそこら中で売っていて、清水寺でも嵐山でもお土産よりこっちを多く買っていました。

なので余計にお財布はぎりぎりでした^^;

 

修学旅行はとてもよい思い出になりました。

いつかまた行きたい京都の旅です。

 

 

そして私は無駄にプライドが高い、友達がいないと感じた旅でもありました。

修学旅行の行きの朝、みんな近くの友人と同じ車で行くと聞いて

私も班の友達と、別室の友達に声をかけてみました。

しかし二人とももう先約がありました。

そこで私も一緒に乗せてといえば良かったのに、変なプライドが邪魔をして言えなかったのです。

まー。そのうちの一人は私が先に先約してたのを忘れてたので余計に・・・

じゃあ他にって考えたとき、いなかったのです。

友達いないな~って悲しくなった、修学旅行の朝でした。

 

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勉強は分からなくていいけど、公式は知っておくといい

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思い出しては書いているので、このブログは時系列がバラバラです。

見にくくてすみません。

カテゴリーはおおざっぱですが分けてあるので、

そちらから見ていただけるとわかりやすいかもしれません。

 

今日は中学校3年の話です。

 

高校受験が始まる中三は悩みました。

教室に行かないということは、普通の高校を諦めることになります。

もちろん受験はできますが、内申書で落とされるので、

普通高は諦めて、定時制か、専門学校へと勧められます。

 

高校生というのは憧れました。

制服も女子高生というブランドも。

高校で素敵な人と出会って恋するとか色々。

 

一学期から教室へ行って授業を受けないといけませんでした。

悩んで出た答えは、

『高校に行っても体の問題は変わらない。きっと教室へはいけないだろう』

という後ろ向きな答えでした。

 

とはいえまだ諦められない私は、授業へ途中参加したり

勉強をしてみたりしていました。

今まで間違えなくクラスでは、テストの点の最下位争いをしていましたが、

この頃は下のほうでも少し上にいたでしょう。

(自慢できないレベルですけどね、笑)

夏休みには猛勉強して1日10時間とか勉強していたかもしれません。

1年の時からあまり授業を聞いていられない、

2年は行っていない、3年も少しだけという環境で自己努力をしていないと、

1日10時間勉強していても、テストの点は半分とれるくらいでした。

 

勉強はできなくてもいいけど、

公式や常識の範囲でわかっていたほうがいいです。

少しの勉強はしておくべきですね。今の私が思うことです。

 

そして高校はやはり普通の高校は無理で、定時制か専門学校を勧められました。

近くにある定時制、専門学校は1校しかなく、そこを受験することにしました。

 

 

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幸せは比べるもの?

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昔言われた言葉というのは普段は思い出さなくても、ふとしたきっかけで思い出します。
中2の時、教室に行かない私に担任から言われた言葉があります。

「クラスのある子は遺伝によって、子宮を摘出する子がいるんだ。君は幸せなんだよ」

それは正解なのかもしれないし、不正確なのかもしれない。
その子に子供ができない、私にはできるかもしれないと比べたら幸せなのかもしれない。


しかし幸せって人と比べることなのでしょうか。
でも人の不幸をみると自分は幸せなんだなと思うから、比べてしまっているのは確か。
とはいえ、それを人から言われる事なのかしら…?

実際その子のが不幸なのか幸せなのかはその子しかわかりません。

宝くじが当たった人がみな幸せなのかと問われると違うでしょう。
有名な芸能人が幸せなのかと問われたら、やはり違います。

幸せって人から比べられるものではないです。

「クラスのある子は遺伝によって、子宮を摘出する子がいるんだ。君は幸せなんだよ」

っていう言葉が今でも時々思い出すのは、当時その環境が幸せだと思えなかった、

苦痛が大きかったからかもしれません。

”なぜわかってくれないの?私はこんな気持ちでも幸せなの?”

これを見て「お前幸せだろ?!」と言う人もいるかと思います。

私は今、幸せであり、幸せでないと思う事もあります。

 

解決はしない昔の話でした。

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”幸せ”と口にすることで

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今の私はまだまだ一人前とは言えません。
一人前に仕事を出来てるわけではなく、実家暮らしだからこそ生きていけるて環境です。


外での仕事は17歳で始めました。

しかしその時に発作が出て仕事を辞めてからと言うのは、ずっと家で内職をしていました。
当時はなぜ発作が出るのか全く分からず、ただただ体が怖いだけでした。
発作が出ては引きこもり、少し外に出るようになってはまた発作が出て引きこもる、

というのを何回か繰り返していました。
なので安定した職には着けずにいました。


内職を2つほど変えて20代半ばからは今もやってる内職をしています。
そして今は内職と外での仕事、時々クリエーターをしています。
外での仕事は体を気にして数時間だけなので内職よりも給料は低いです。
1ヶ月の給料は、内職と外の仕事合わせてやっと普通の人のパート額と同じくらいです。

十代から仕事を始めてから今もですが、大きな所を歩いて移動するのがとても苦手です。
最初の頃は家の敷地内だけの移動も困難な時もありました。
家の周辺を歩くこともできないでいました。

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当時役所が行ってるカウンセリングを受けました。
中学でお世話になったスクールカウンセラーが相談役でした。
先生が言った言葉は今でも覚えています。

『小さな幸せをたくさん見つけてください』

この意味を理解出来ているのかは今でもわかりません。

自分なりにとった行動は、

花を見てはきれいだなと幸せだなと言う。

虹を見てはいいものを見た、幸せだなと口にする。

雨上がりの懐かしい匂い、ご飯が毎日食べられる。
幸せだなと口にすることで、無理やり脳に幸せを感じさせていました。

それから私は変わった気がします。
今ある環境を不憫に思っても、違う角度からみたら幸せな環境なのです。
捉え方一つですね。

小さな幸せを大切にしていくと、いずれはなりたい自分になってると思いたいです。

  

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