自立支援を使って無理なく通院

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精神科、心療内科の病院代は高くはないですか?

私は3割負担で月一、診察料が約1700円+薬代約1000円

月一の病院代で今使用している化粧水が買えてしまう。

友人に相談したところ自立支援受けないの?って言われて

調べてみたら診察料薬代とも1割負担でいいとか。

○医療費の自己負担[4]

ア) 一般人であれば公的医療保険で3割の医療費を負担しているところを1割に軽減する。 (例:かかった医療費が7,000 円、医療保険による自己負担が2,100 円の場合、本制度による自己負担を700 円に軽減する。)

イ) この1割の負担が過大なものとならないよう、1 か月当たりの負担には上限を設けている。上限額は、世帯(※1)の所得に応じて異なっている。

この制度は都道府県又は指定都市が指定した「指定自立支援医療機関」(病院診療所薬局訪問看護ステーション)のみで利用できる[5]

自立支援医療(精神通院医療) - Wikipedia

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 ウィキさん読んでも1割は分かりましたが、ほかはよくわからず・・・

 

早速役所に行って話を聞いてきました。

・今通ってる病院で診断書を書いてもらう必要がある

・病院を変えるときにはまた届けを出さないといけない

・申し込みの際にはたくさんの書類が必要となり、今はマイナンバーも必要

最後の書類集めが大変そうです。

役所で必要な書類を説明してくれるので、メモるか書いてもらいましょう。

 

次に病院へ電話して診断書をお願いした。

診断書作成するまで2週間ほどかかるとのこと、

一度診察して先生に話を聞かないといけないとのこと。

今診察しても1700円かかるのなら再診まであと2週間なので、

次回の診察の時に話すことにした。

 

精神科の診察代を軽くする方法はいくつかあるのですが、

以前その話をした時、私には適応できないと言われたのですが、

この自立支援でなければいいなと。。。

対象者は精神保健福祉法第5条に規定する統合失調症、精神作用物質による物質中毒、その他の精神疾患てんかんを含む。)を有する者で、通院による精神医療を継続的に要する病状にある者で、症状がほとんどなくても状態維持や再発防止目的の通院も対象となっている[3]

対象となるのは全ての精神疾患で、次のようなものが含まれる[4]

 

 この不安症が私には当てはまるので、大丈夫だとは思う。

3割から1割の負担ってすごく助かりますよね。

使える支援は使わなきゃ!

じゃないと自分がやっていけないくなります。

 心を痛めて通ってる病院に心を痛めたら意味がないですからね。

 

 ただもっと早くにこの支援を知りたかった!(笑)

イベントの感想

先日地域のイベントを見た来ました。
『地域』っていうとずっと苦手意識があります。同級生とかでしょうか…

でも久しぶりに行ってみたらいい気晴らしになりました。
同級生…とか思いますが、みんな顔が変わっていて誰かわからないものあり、
少しずつ苦手意識が薄くなっているのかもしれません。
それと薬の助けもあってかもしれません。

昔と比べると人を気にせずにいられて、
イベントの内容を楽しめている事が嬉しかった。

対人恐怖というのは昔読んだ本では
歳を重ねれば治っていくと書いてありました。
だから私も歳を重ねたから慣れてきたのかなと思います。


出来れば引きこもりは嫌です

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20代は一番楽しい時期だと思います。

仕事をしてお金もでき、遊ぶ体力もあり、なんと言っても若さがありますよね。
そんな時期を家で引きこもるのはもったいないです。
もし色々な経験をしたいと思うならばこの時期は最適です。
世界を見に旅行に行くこともおすすめしたいです。
若いうちに世界を知っている人をみるとどこか違います。
発想力や負けない心とか、少しまわりより大きく見えます。
 
でも若年層の引きこもりや、鬱もよく耳にするようになりました。
引きこもっている世界で、それなりに楽しいことを見つけて生活しているのです。
メンタルな病気をしてその痛みが解る人は優しいです。
だからといって自分から病気になるのは辞めてくださいね。
病気をしてる間は辛いし、余裕はなかったりしますから。
 
20代になると付き合ってた彼が、私の親より私を理解してて、私よりも私を理解していたかもしれません。
ここまでなら私は出来る、行ける、ここからは少し辞めたほうがいいんじゃないかな。
ってアドバスをしてくれていました。
 
毎日の様に一緒にいたので、よく私のメンヘラが移らなかったなぁと、自分をしっかり持っていた彼に感心します。
とはいえ、彼はアウトドア派だったのでやりたいことはやるようにとお願いしていました。
私は一緒にできないけど友達と行ってもらうことで私の気持ちも軽くなります。
どんな恋愛も過渡な束縛はよくないですね。
『私はこんなに辛いのにあなたは遊ぶの?』
なんて思わないで、彼は彼、楽しむべきです。
 

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二十代半ば、彼の友人の親が鬱のようになり、私の気持ちがわかるだろうと、その方に会いに行くようになりました。
『おかん』と呼ばれていた人は、毎週末私が会いに行っても招き入れてくれました。
おかんの子供は5人いてみんな男の子です。
そのうちの一人は私と同級生で、中学三年は同じクラスでした。
その子もまたクラスには行ってなく不良をしていたので、話したことはこの時までなかったです。
 
最初はおかんの部屋でおかんと話していただけですが、子供達の彼女も参加していつの間にか女子会のようになっていました。
このおかげで私は随分外に出る事に慣れたり、
おかんや同級生の奥さんと友達になり、
大勢居てもその場にいれる、話す、聴くということに慣れてきた出来事でした。
 

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恋人と病気

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退院してからは高校を辞めたりしましたが、

その年の5月に長く付き合う事になる男性と出会いました。
彼は彼が中学生の時に南米から来た外国人です。
とはいえ日系なので顔は日本人。
中学から日本の学校に通い言葉も普通に通じます。4歳上の方でした。
 
出会った頃は私も体調は良かったと思います。車ででかけたりもよくしてました。
病気の事も理解してくれる人でした。
 
近所に住んでいて、彼の弟とはよく友人の家で遊んでいたので、まさかそのお兄さんとお付き合いするとは思いませんでした。
彼の友人も日本人が多かったため生活も日本と変わらなく、違うといえば食事はお国の物でした。
 
当時は調子が良かったため、私は飲んでた薬を止めていました。
離脱症状という言葉はまだ知らなくて、徐々に抜いていかなければならないという事も、全く知らないでいたのです。
入院中に説明は受けたのかもしれませんが、
この安定剤がこんなに怖いものだとは頭になく、風邪薬を止めるような感覚でいました。
 
しかし、出先で不安症の症状なのか離脱症状なのかわかりませんが、不安に襲われてそれから遠くに出かける事が出来なくなりました。
冬に市内で仕事を始めましたが、それも安定し始めた頃突然症状が出て辞めなければいけませんでした。
その頃はなんで症状が出るのかが分からず、
怖いからどこにも行きたくないと、負の連鎖でした。
 
薬も増えたりしましたが、車で30分の病院に行くこともできず、何年も家族に薬を取りに行ってもらうことが続きました。
カウンセリングもずっとしていなかったです。
食べれない時が続くと、彼は涙目になりながら食べないとダメだよ!死ぬよ?と言ってくれたのを覚えています。
 
17歳の冬くらいから数年は家に引きこもっていたと思います。
その間は内職をし、彼と合うという日々でした。
毎日が早く過ぎて行きました。
数年してまた少し出れるようになっては、また症状がでて引きこもる…
そんな二十代前半でした。
二十代前半の思い出はほとんどなく、一番楽しい時期を楽しめないで過ごしてしまいました。
彼にも悪かったなぁ、と思います。
 
 

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10日

今日はとても大事な日になりました。

 

大切な人を失った日です。

 

ずっと『命とは?』と問いかけてきました。

 

そして人間関係や、どう生きるのかを考えてきました。

 

私は生き方が下手なようで、

 

一緒にいた人も私では不安と思ったでしょう。

 

苦手とするものが多すぎる。

 

普通の人が何も考えずにできることが苦手だから理解もされません。

 

ここには書いてないことや、書けないこともあります。

 

『普通』というのにこだわっているのもあるかもしれない

 

普通に見えてその人もたくさんの問題があるのだろうけど

 

生活に支障がないなら幸せだとおもう。

 

考え方、もしくは生きる場所を変えれば、

 

私もいつかは普通に暮らしているのかもしれません。

 

なら私も幸せなのかも。

 

この日に生きる意味をずっと問いかけていくでしょう。

 

いつか、そんなことも考える暇がないほどに

 

忙しい中でも幸せととなりにいて

 

いつの間にか歳をとってた・・・

 

っていう生活を送ってみたいです。

 

森田療法

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森田療法は日記を書くようです。

同室の人が書いてるところを見たことがありますが、
私は書かなかったです。
その段階に入る前に退院になったのか、
先生の指示かはわかりません。
昔のことは忘れます。
だからこのようにブログでもいいし、
スマホのメモ帳にでも書いておくといいかもしれません。
毎日ではなくてもいいので、何か達成した時の気持ちはとくに書き留めておくのをおすすめします。
 
一ヶ月ほどしてようやく他の患者さんとも話せるようになり、
音楽療法や、草取りにも参加できるようになりました。
その時は新薬だった鬱系の薬が効いたのかなと、担当医は言っていました。
私は二ヶ月ほど入院していました。
年を越えて1月の終わりに退院でした。
 
それからは週一で通院でしたが、
車で一時間掛けて行くのは大変で
通院してる時にまた症状が出たのですが、
それを言わずに以前の病院へと変えてもらいました。
その時にしっかり話していればよかったのですが…、
それからずっとその街には行けなくなりました。
去年14年ぶりに行きました。
 
ありのまま医師に話すのは大切です。
中にはそれに漬け込んで薬を大量に出すだけの医者もいます。
なので、信頼できる医者探しをするのは大切ですね。
 
そういえば退院した時に森田療法の本を購入しました。
同じ病状の方からおすすめされ買ってみたのですが、
もし恐怖症で困ってる方がいるなら、私もおすすめします。
本の全てを実行しろとはいいません。
自分のできる範囲で出来ることをするのはいいことです。
本を読んでこれならできそうっていうのを探してみるといいかもしれません。
 
あと、嫌いでなければ土いじりをしてみてください。
都会で自然がないところなら、
通販で花や野菜と容器と土を注文すれば、
玄関まで持ってきてくれます。
野菜が育つのを見るのも楽しいし、
花の手入れも心が落ち着きます。
枯れてしまったらその原因と、次はどうしたら枯れないかと、悩んでみるのもいいです。
自分の症状ばかりに囚われてる時間が少しでも減るとその分心が軽くなります。

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入院と森田療法

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入院したのは高校一年だったと思います。

今はもうはっきりと覚えてはいません。

自分から心療内科に相談して、入院治療したいと申し出ました。

紹介されてた病院は県内外でも有名だったらしく、

患者さんの中には県外からの人も何名かいました。

申し込みをしてから約2カ月ほど待ち、冬頃入院しました。

 

入院生活は甘くはなく、病室前のトイレに行くのにも、

症状がでて大変でした。

食事はみんなで一か所に集まって食べます。

人と食事ができなくなっていた私は、

一口、二口食べるのもやっとでした。

 

森田療法を行う予定で入院し、

最初の一週間は基本的な身体の検査と、精神的な検査が主でした。

 

まずは森田療法とは

森田療法(もりたりょうほう)とは、1919年大正8年)に森田正馬により創始された(森田)神経質に対する精神療法。(森田)神経質は神経衰弱[1]神経症[2]不安障害[2]と重なる部分が大きい。また近年はうつ病などの疾患に対して適用されることもある[3]

入院[編集]

  • 第一期 - 絶対臥褥(がじょく)期:患者を個室に隔離し、食事・洗面・トイレ以外の活動をさせずに布団で寝ているようにする。
  • 第二期 - 軽作業期:外界に触れさせ軽作業をさせたりする。なおこの時期から主治医との「個人面談」と「日記指導」も行う[33]
  • 第三期 - 作業期:睡眠時間以外はほとんど何かの活動をしているという生活にする。なお現代では適時休憩をとるように指導するところもある。
  • 第四期 - 社会生活準備期:日常生活に戻れるよう社会生活の準備に当てられる。

  上記の課程を40日[34][35]~3ヶ月[36]程度行う。

出典:森田療法 - Wikipedia

 

あまり食べれずにいたので 、1週間で5キロ~7キロほど痩せたと思います。

慣れない生活のストレスもあったでしょう。

それから私は帰りたいと願いましたが、

治療は大事だと親と先生の相談して閉鎖病棟へ移りました。

普段親の前では泣かない私も、あの時は結構泣いたのを覚えています^^;

 

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閉鎖病棟というのは、その名通り必要以外は扉に鍵をかけてあります。

それは普通の精神状態なら以上にも思える行為なのでしょうが、

外部との接触がストレスになってる患者には、

逆に安心できる場であったかもしれません。

 

南側の窓辺にベッドが置かれ、高台にある病院の10階からの眺めは

特に朝日や夕日、夜景もきれいでした。

家から車で1時間かかるので、何かあるたびに来てくれる親も大変だったでしょう。

人見知りの私、同室の方も人見知りでしたし、

入院してから一カ月、挨拶程度しかしていなかったように思います。

 

薬が処方されたこともあって、食事の場に慣れたこともあり、

食事はみんなととれるようになっていました。

このとき処方された薬は去年まであまり変わらずに飲んでいました。

 

森田療法はあるがままを受け入れるというものですが、

1日に1時間、音楽みんなで聴いたり、

1時間外に出て花壇で草取りをするという内容でした。

私はその場にいることも苦手でしたので、参加し始めたのは

結構後になってからでした。

 

患者さんは小さい子は小学生から50歳くらいの方がいて、

20代から30代が多かった気がします。

その小学生はなんの病状で入院していたのかは聞いていませんが、

学校の勉強に遅れるからと、周りの大人が勉強を教えてあげてて

そのことで大人もその子も温かい時間が作れた気がします。

 

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高校と症状の現れ

中学を卒業して春休みの時に、症状が出てきました。

・心臓のドキドキ
・どこに行っても気持ちが悪くなる
最初のうちは自分で作っていました。
『ドキドキが悪化して病気になれば高校へ行かなくて済む』
と考えてるうちに、考えなくても自然に出てくるようになり、
これは風邪とかと一緒で、
3日くらいすれば治るだろう、一週間すれば治るだろう…
と思ってるうちに数カ月、数年と経ってしまいました。
 
もしこんな変な考えをしなければ、症状は出なかったのでしょうか。
 
そして高校の入学式が来ました。
入学式は出たくないと最後まで言ってました。
そこでも言い訳は気持ち悪い、心臓がおかしい、そんな事を言ったと思います。
高校は、席を後ろに設けてあげるから来なさいと言ってくれて、行けることができました。
 
こうやって何かあるたびに『気持ちが悪い』と言ってきたので、それが本当に症状として現れたのでしょう。
今でも体調の悪い時(メンタル的に)、その原因を思い浮かべると気持ち悪くなります。
 
ただ、それが普通の人でも同じなのかわかりません。
メンタルの病気ではない人も嫌なことがあったり、 
嫌なことの前とかは体に現れますか?
そんな事が普通にわからなくなっています。
 
高校生活は…授業に出た記憶がほとんどありません。
教室で授業を受けたことはない気がします。
音楽や体育は少し出た記憶はあります。
あとは職員室にいたり、保健室にいたりしました。
 
定時制の保健の先生は短大を出たばかりの方で、
矢田亜希子似の綺麗な先生でした。
同じ歳や年上の生徒から、先生と呼ばれるのは、
やはり変な感じと話したことがあります。
 
そして職員室にいると教師達の関係も見えてきます。
一人、先生方から嫌われてる先生がいました。
時々イジメにも似た態度の先生もいました。
そのいじめられてた先生は、大人しそうで何を言われても笑顔で返してて、
いじめられる人の特長をもっていました。
大人はになってもいじめってあるんだな。
そんな事を感じました。
 
高校は中学とは違って先生と仲良く話すというのができませんでした。
話す事は勉強の事や、聞かれたことを返事するくらいで。
中学が懐かしくてしょうがありませんでした。
なんで私はここにいるんだろうと…
 
結局一学期は職員室へ行き、2学期3学期はほとんど行っていません。
入院もしていたので休学になっていたと思います。
友達も馴染めなかったのか同じようになり、
学校を退学するか一年をやり直すかの選択になり、辞めることにしました。
 
対人恐怖によくある人の目を気にするというのは、
この時は普通科の生徒の目が大きかったかもしれません。
定時制の生徒が登校する時間は、
普通科の生徒が帰宅する時でした。
この高校の普通科のレベルは平均より上の高校で、
同じ中学からも何人か知ってる人が通っていました。
その人達と話す訳でもないですが、
気づかれたくはないなって。
高校の制服に憧れはありましたので、
それを着てる普通科の子達は羨ましくもありました。
自分で比べていたのですね。
 
雨の日、登校前に新しく買った傘を下駄箱横の傘立てに置いて、職員室へ行きました。
見事に盗まれました(笑)
雨なのに他の定時制生徒の雨具が少ないなーとは思っていたのです。
その傘、使用したのはほんの数分でどこかにいってしまいました。
犯人は誰なのかはわかないで終わりましたが、
状況から考えて普通科の生徒だと先生も含め思ったでしょう。
 
定時制生徒は本当に幅広い人がいました。
同学年では60過ぎの女性もいました。
他の高校の普通科から編入してきた子もいれば、外国人もいました。
多くは20歳前後の社会を体験した人が多かったです。
当時、定時制は二年からは仕事をしていないと県からの補助金が出なかったので、
それで仕事をしている人もいたでしょう。
大人な人も多かったので、
私が教室に行かないことを悪くいう人はいなかったですね。
イジメや不登校から定時制に来た人もいるので、
少ないクラスメイトをイジメるよりは、
うまく付き合って行くことが、
この高校ではお互いに励まし合って卒業できるコツなのでしょう。

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病んで寝込んでしまうとき

昨日から少し落ち込んでいます。
年に一回、二回は一週間ほどメンタルの落ち込みで
あまり喉も通らなくなり、寝てるだけの日が続くときがあるのですが、
今回はその一歩手前です。
年に一回は夏に、夏バテできます。
夏バテならメンタルからではないのでは?
と思いますが、
バテても『おっしゃーーー!!』とやる気が起きなくて、
自分に負けてしまうのでメンタルは関係してくるのかなと。

友人や好きな人と何かあった時もこんな感じになるので、
この寝込みは厄介なのです。
今回も以前仲良くしていた人が問題でこうなったのですが、
もちこたえなきゃと、食べれるのを口にしてお腹に力をいれて踏ん張ってます....

夏バテもですが、本格的に寝込むようになったら、
最初はとことん寝ます。食べれるものを食べれるときに食べ栄養剤で栄養もとります。
何かしたくなってきても、寝てばかりなので体がふらふらします。
なので、できる範囲で運動をします。
数回のスクワットや、横になりながらお腹に力をいれたり、ずっと立っているのもいいです。
そうしたらお腹が空いてお肉など力になるものを食べます。
少しずつ食べれるようになってきたら回復も近いです。

毎年毎年なるのですが、少ししたら記憶が薄れてくるので、
こうやって直し方を書き留めたのは一、二年前。
なぜもっと早くから回復法を書き留めなかったと後悔(汗)

今でもその友人の事を考えると苛立ちで、
喉を通らなくなり、まだ油断は禁物ですが、
未来を見て変わらないといけないですね。
『私は私』
これって大事なことですね。
その人の意見を聞いても、正しい事は実行すればいい、
でも理不尽な事はノー!って言えるようになりたいです。
恋人や夫婦ならば妥協ということなんでしょう。
それでも同じ目標に向かって支え合える者同士ならば、理不尽な事でも我慢できるのでしょうね。
私は…やはり結婚には向いていない性格なのかな、苦笑

でもこうやってかける場所があるのはありがたいです。
自分の気持ちを誰にも話せずにモヤモヤしてるのはよくないです。
おかしくなりそうになっちゃうし、体の不調にも繋がります。
私が子供の頃はパソコンなんて物もなかった、
携帯自体持ってる人は少数でしたから。
吐き出せる場がある今はありがたいです。
ただ、便利になり過ぎて子供の頃にはありえない出来事も起こってしまうのも事実。
ネットは程よい距離感が大切ですね。


鬱や精神病になりやすい人ってどんな人?

鬱や精神病になりやすい人ってどんなひとなんでしょうか?

その答えは今は出ないと思います。

心の病気といっても脳の働きに問題が出たり、自律神経からとか、

体の不調が重なったり、遺伝とか、環境のせいとか色々言われてますよね。

 

例として私の過去を書いているのですが、

私は遺伝や、環境、逃げ、人との接し方(親への甘えなど)等

考えられることはたくさんあります。

 

母は人見知りですが、仲良くなればなんでも言えるような性格です。

この性格は受け継いだでしょう。

もし時代が違えば母も精神病になっているのかもしれません。

母の時代はメンタルな病気はメジャーではなかった、

そして世はバブル期が終わったが家を建ててしまった。

なのに子供にはこれからお金がかかる。

そんな状態だったので心の不調があっても気に留める時間がなかったのでしょう。

昔の人は体に不調があっても病院では問題なしと言われ、

どうしてかわからずにそのまま不調と付き合っていって、

いつの間にか良くなっていたって人が多かったのではないかな。

 

天気が悪くなったりすると気持ちが沈みますね。

そして女性なら生理が重なったり、

肩こりや頭痛と重なるだけでもメンタルにきます。

自律神経に異常が起こったりすると症状は色々出ます。

自律神経失調症と言われても、これはしっかりとした病名ではなく、

何ともおおざっぱな言い方みたいで、私の不調はとりあえずこれって言われてる感じがします。

私の場合本格的な病名を告げられて、それに対してストレートに悩むよりは、

不安症や自律神経失調症とかの不透明な霧の中を、

自分の手で霧をはらい、一歩先を行くのがあっている気がします。

対人恐怖症と言われましたが、対人恐怖に当てはまったりはまらなかったりしますし。

悩みはしますけど、普段はなんとか生活できていますから^^

 

ネットで知り合った子がいます。

その子を見てると、

あと一歩踏み出せばそのやりたいことは、いつの間にかできてるよ~っていつも思います。

仕事も出来ないからどうしようっと悩んでましたが、

今では多少問題はあるけど、自分で解決して仕事ができています。

その子の性格を見てると精神病とは無縁っぽいのです。

でも何かしら自分をストップさせてしまう性格なのか、環境なのか

私にはわからない問題があるのでしょうね。

 

いつどこでどんな人が精神病になりやすいかなんてわかりません。

最初の”鬱や精神病になりやすい人ってどんなひとなんでしょうか?”

に対してこんな人です、こういうタイプの人ですという

答えを待っていたならすみません。

専門家でもないので書けないです。

 

ただ自分の経験を踏まえてアドバイスをしてる時に言うのは、

・強くダメだと思うときはやめておこう。

・もし誰かの支えがあっていけそうなとき、行きたいと思ったときは飛び出してみるのいいかも。

・こうしないといけないってことはない。

・ダメだと思ったら途中で帰ってくればいい。

・もしその場で居れるならもう少しいてみよう。

・出来たことに喜びや幸せを感じてね。

他、ケースバイケースでアドバイスで言ってます。

人と関わることでできることもあります。

逆に人と関わってダメになることもあります。

次回また挑戦してみようって思えたら、その思い自体が喜びだと思います。

あともう少しで精神病から脱出!って人にはアドバイスできる立場ではなく、

私にアドバイスしてってお願いするほうですが人の助言はありがたいです^^

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